前回から引き続き、南三陸ホテル観洋の宿泊レポートです。
第一弾は、南三陸ホテル観洋の東館・南館の違いと温泉の感想
第二弾は、南三陸ホテル観洋の夕食と朝食バイキングの感想
そして、今回は、私が南三陸ホテル観洋に泊まろうと思った目的の
【震災の語り部バスツアー】
実際乗って見た現状などをお伝えしようと思います。
やはり、テレビを通して見るのと、実際その地を訪れて経験者の方の声を聞くのとではまるで違う。
7年も経ってるから今更行っても分からない。
なんて事はなく、7年経った今だからこそ分かる事もあると、実感しました。
南三陸ホテル観洋の語り部バスツアーとは
南三陸町の震災の跡地をバスで巡る1時間程度のツアー。
行くところは・・
戸倉地区 → 高野会館前 → 防災庁舎 → ホテル着南三陸ホテル観洋の宿泊者限定参加できます。(参加費500円)
語り部というからには、おじいさんとかプロっぽい人がしているのかと思いきや、南三陸ホテル観洋のスタッフの方が語り部として乗っていました。
震災後始まった語り部バスツアーですが、参加費たった500円、そしてお客さんが一人でも運行しているそうで
「始めてもう7年になるけれど、1日たりとも欠かした日がない。」
と、語り部の伊藤さんは仰ってました。
震災について知りたいと思った私は、語り部ツアーが目的で南三陸ホテル観洋に泊まりましたが、たった1時間のツアーでどこまで分かるのか?
と、不安でしたが、たった1時間でもテレビで見ている情報とは全く違いました。
南三陸ホテル観洋の語り部バスで見た震災後の町並み
朝8:45~語り部バスが出発します。
大体8:40には玄関に来ておいて下さい。と言われていたので8:40ピッタリに行くと
なんとバスはほぼ満席ではないか!!
これは盲点でした。こんなに人気(という言い方は変だけど)なんですね。
一番後ろの席が二つ空いていたのでそこに座る事に。
(語り部さんの話を聞いたり、写真を撮ったりするには、絶対前の方の窓際の席が良いので、参加される方はできるだけ早くバスに乗りましょう。)
ルートは
戸倉地区 → 高野会館前 → 防災庁舎 です。
語り部バス‥まずは戸倉中学校へ
広大な野原。あちこちで工事が進められています。
「好評分譲中」という旗が並んでいてもおかしくないような、何もない土地ですが、ここにはもともと140件ほどの家があったそうです。
昔を知らなければ想像が付きません。
バスはそのまま、戸倉中学校へ。
戸倉中学校は高台にあったので坂道を上ります。
途中、モアイのモニュメントが。
これは、50年ほど前のチリ地震の時にこの地域も津波が来て、津波がここまで来たという印なんだとか。
モアイを通り越し、さらに高台にのぼると、戸倉中学校(だった所)に到着。
ここでふと疑問に感じます。
なぜ、震災の地を巡るのにわざわざ高台へ?
「この校舎の1階まで津波で浸水したんですよ。」
「えー!!」
バス内がどよめきます。だって明らかに高台なんですよ?
この場所は海から高さ22.6mあるんですよ?信じられませんよね。
しかもこんな高台にあるので、ここは災害時の避難場所として指定されていたそうです。
チリ津波の時とは比べ物にならない高さの津波が来ているのです。
時計が、震災の起きた時刻で止まっています。
戸倉小学校へ
続いて小学校があった場所へ
何もない場所にバスが停まります。
何もないな~と思っていたら、「この後ろに小学校があったんですよ。」
と。
戸倉小学校という小学校がありましたが、津波に浸かってしまいました。
「最初は建物の骨組みだけ残していたけれど、今は潰してしまったから本当に何もない所になってしまって、年月が過ぎると、もう昔から何もなかった場所のようにみんな思い始めて・・
忘れてはいけないと皆分かってるけど‥だけど思い出すのも悲しいんです。」
因みに、この戸倉小学校はあまりテレビでも話題に上がりませんでしたが、それはここの生徒や先生は皆助かったからです。
最初は、学校の屋上に避難したけれど、先生達で話し合い「もっと高台へ逃げよう。」となったそうです。
先生たちのとっさの判断が、生徒を助けたんですね、
高野会館へ
南三陸の町は、なんだか上ったり下ったりが多いな。
と思っていたら、どうやら全体的に10メートルの底上げ工事を行っているそうです。
高野会館や後で行く防災対策庁舎も、今作られている道よりも低い場所にありました。
いつか取り壊されるのかな・・
高野会館へ到着。遠くからみるとそんなに損傷のない建物のように見えましたが、
近くで見ると津波で窓が破壊され、廃墟のようでした。
(とは言え、骨組みだけになる建物もあるなか、頑丈な造りだったんだな。)
3階部分に、ここまで津波がきたと印が。
高野会館。3階建てのこの建物は、結婚式場でした。
実はここ、町のど真ん中だったそうです。郵便局やショッピングモール、そして一番大きな病院がありました。
その日、高野会館では年に一度の高齢者の集まりがあったそうです。
本来であれば高台に避難すべきだったけれど、そこにいたのはおじいちゃんやおばあちゃん。
津波が来るまで逃げられない!と職員は判断し、皆屋上に上がりました。
そして、327名の人と犬2匹が助かりました。
防災対策庁舎へ
最後まで防災無線で「高台へ逃げて下さい」と呼びかけた女性職員さん、あの声は聞き覚えがあるのではないでしょうか。
防災対策庁舎なのに、沢山の犠牲者を出している場所です。
女性職員さんんも津波で亡くなりました。
数年前までは近くまで行けましたが、もう工事が進んで遠くから見る事しかできません。
しかし、遠くからでも分かるあのアンテナ。
あそこにしがみついてなんとか生き延びた人もいます。
でも、50名ほどの人が防災対策庁舎の屋上に避難し、津波が引いたあとは数名しか残っていなかったそうです。
3階の建物の屋上に避難して津波に流された防災対策庁舎、
同じく3階の建物の屋上に避難して助かった高野会館。
場所も近かったのに、、運命を分けるのは一体何なんだろうと思いました。
東北震災後7年 復興はあまり進んでいない現状
語り部バスツアーに乗って、実際自分の目で現状を見てまず思ったのは、
「7年も経ってるけれど、復興ってまだまだ時間がかかるんだな。」
って事でした。南三陸の前に松島の方も行ったんですが、松島もまだ復興の途中でした。
道はどんどん整備され、地面も10mかさましして、堤防を作り・・
どれも時間だけでなく費用も莫大にかかるそうです。
そして、いくら道や建物など目に見える部分を直しても、どんどん住民が減っているので経済が落ち込んでいるそうです。
人が来て、人が住んで、経済が活性化する事で初めて本当の意味の復興なのだと教わりました。
大津波が来た地域に住もうというのはなかなか難しいけれど、旅行に行ってお金を使う事はできます。
だから、是非旅行に行ってみてください。
復興のお手伝いとしても勿論、実際自分の目で見て被災された方の話を聞くと、自分自身の防災に対する意識が変わります。
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